それを物心ついた頃から背負っていました。
 それを背負って、少し上りの坂をちょっとずつ歩いてきました。

 中学・高校と、重さの感覚が麻痺してきて、
 それでそれはちょっと半透明になりました。
 わざわざ見せるもんでもないと思ったので、
 人には絶対に背中を見せませんでした。
 むしろ軽いフットワークでちょこまかしていました。
 背負ってるけど、皆のそれより重いことなんてないんだよ〜
 という風に見せたかったのでしょうか。

 大学に入ってもそれは続きました。

 ある時、髪の長い小柄な眼鏡の女性が、
「どうしてあなたはそんなにちょこまかするんだろう」
 と隣を歩きながら呟きました。
 私はその人にちょっとだけ見せました。
 その人は、もう少し軽くなる持ち方を一緒に考えてくれましたが、
 時間が足りなくて別れてしまいました。

 それから、軽くなる持ち方を、1人で考えたり本で調べたりしてみました。
 でもなかなか軽くなりません。
 意識したことでそれは半透明でなくなり、逆に重くさえなりました。

 
 そこで、もう一度重さを忘れてみようと思い立ちました。
 またちょこまかし続けることで、重さが忘れられるだろうと。

 でも、重さを感じないような様子の私を前だけから見た彼らが、
 次々と荷物を渡してきました。
 重さがないみたいで良いよねと言いました。
 ちょこまかするの良くないよとも言いました。

 ちゃんと前を見て歩いていたのに、
 気が付いたら首の後ろまで荷物が積んであって、
 気が付いたら下を向きながら歩いていました。

 おかしいな?
 なんでこんなことになっちゃったんだろう?

 意識しないようにしていた重さに、
 彼らの悪意のない毒が少しずつ積み重なり、
 なにより自分で自分の心を謀った苦しさのツケが回ってきました。

 こうして私は歩けなくなり、立っていることすらできなくなりました。

 
 私の背負っているものに気付いてもらうためには、
 彼らに背中を見せれば良いのです。
 しかし、背中を向けるということは、
 相手の様子を私は見ることができませんから不安が強すぎます。
 笑い飛ばされるかもしれない。
 蹴られて元来た道を転がり落ちるかもしれない。
 もう一度振り返った時にはもう既に逃げられた後かもしれない。
 相手に背中を見せるって、それはその時点で対等でない気がします。

 どうして隣に並んで歩いてもらえないのでしょう?
 隣にいたらちょっと首を伸ばせば見えるものなのに。

コメント

nophoto
クローバー
2008年2月12日22:02

国試まであと少しですね(><)
頑張ってくださp(*^▽^*)q

あるかり
あるかり
2008年2月12日23:06

ありがとうございます。
評価実習は無事に終わったのですかね?
来年度は最終学年、クローバーさんも臨床実習頑張ってください☆